さめないゆめ・・・

HSP・内向型人間が綴るブログ。日々の雑感、自分が自分であること、人生について、本や映画の感想(イギリス、ヨーロッパ多め)などについて書いています。

きっかけを作ってくれたのは「友達」でした。

これまで家族との関係を綴ってきました。実は私は過去に母と同じ行動を他人に対してやってしまったことがあります。当時はそれの正体が何なのか気付きもしませんでしたが、こうやってブログを書いていくうちに理解したのです。

 

誰に対してやってしまったのかというと、友達です。

仮にAちゃんとします。Aちゃんとは小学校時代に成り行きで仲良くなり、高校入学したての頃まで仲は続きました。でも、本当は彼女は私にとって『友達』・・・ではなかったんですね、

 

今思えば、あの頃の私の行動ははっきり言って「依存」でした。とにかく自分の気に入らないことがあればすぐ不機嫌になり、機嫌がよければ甘え、勝手気ままに気分次第でAちゃんを振り回し・・・かといってAちゃんが離れていくのが凄く怖い・・・


この行動・・・誰かに似ていません?

そう、今まで書き綴ってきた「私の母」なんです。

おそらく、私はAちゃんに対して「親」を投影し、求めていたんだと思います。

全ての我侭を受け止めてくれる、許してくれる、甘えさせてくれる、傍にいてくれる・・・

 

当時は自分がどうしてこんなにも自分勝手で我侭なのか分かりませんでしたし、充分分かっている上で止められなかったのです。


勿論、友達は親ではありません。本来親に求めるべきものを友達に求め続ければ、その関係に終わりは見えています。事実、私は高校入学したばかりの頃、Aちゃんに愛想を尽かされました。急に素っ気なく、冷たくなったのです。自分の中でも「もしかして、そろそろ愛想を尽かされたかも・・・」と思い、PCのメールから彼女のメール(彼女は携帯電話を持っていたので)をしました。今まではこの遣り取りで優しいAちゃんは許してくれたのですが・・・

 

私「ごめんね、もし許してくれないのなら・・・もう友達やめていいです」

 

Aちゃん「私は長年○○(私)ちゃんのご機嫌取りだった。今まで尽くしてきたけれど、もう尽くしきった。もう何もしてあげられない。だからごめんね」

 

みたいな感じでした。

当時の私はこの上ないショックでした。・・・で落ちるところまで落ちた末、自分も変わらなければならないと思い無理に自分を作り上げたのです。それまでの私は、どちらかというと自分の思いは話せる、積極的に行動をする人間だったのですが、その事件の後は自分のことを極力話さない、自分から行動をしない、他人の顔色を伺う・・・と言った性格になりました。


この時のAちゃんは、私の中では無意識に「親」だったのです。その「親」から絶縁を言い渡されたものですから、私は「ありのままの自分ではダメなんだ、受け入れてもらえないんだ・・・」と自分に思い込ませてしまったのです。

でも、いくら表面上を「良い人」に塗り固めても本質に辿り着いていない以上、根本的な解決にはならず、結局ついこの間まで私の「生きづらさ」は続いたのです。

 

親はその事件について「○○(私)のところは家庭的にはまだ安定している方だし、Aちゃんとは合わなかったのかも」と言いました。(Aちゃんの家庭も色々あったみたいです) 最初は私もそうかもと思いました。


でもね・・・辿り着いた答えは違ったんですよ。

 

私は今までずっと悩み続け、やっとAちゃんとの失敗が「自分と母親」の関係にあることに気付いたのです。


・幼少期に満たされなかった幼児的願望の暴走

・思春期に父方、母方の両方で問題があり、その苦しみを封印したこと

・母に対して言いたい本音はたくさんあったのに言えずに抑えたこと

 

多分これらの複数の理由が、Aちゃんへの甘えとなり彼女を振り回したのだと・・・今なら断言出来ます。

そして、それ以降の友達のパターン。数は少ないながらも「友達」付き合いはありました。しかし、そこでも一見正反対に見えるけれど同じパターンが繰り返されていたのです。


私は極端に「他人に迷惑をかけてはいけない」、「良い子でいなきゃ」と思う余り、本当の自分を出さずに人と付き合いました。でも、本心では「依存したい相手」をどこまでも探し続けていたのです。そして、友達になった人達のパターンは決まっていました。

 

・一見優しくしてくれる、優しい言葉を使う。

・でも、こちらがメールを送っても返してくれない。

・話をする、遊ぶ約束をしても相手は平気でそれを破る。

・なのに都合の良い時だけ連絡をよこす。

 

私は相手に嫌われたくない一心で、とにかく「良い人」を装っていました。「良い人らしい気遣い」をして来たメールにはすぐ返す。相手の要求にはすぐに応じる。でも、相手はそんな私を尊重はしない。


「友達に裏切られる」度に私は「何がいけないんだろう?こんなに尽くしているのに・・・、こんなに良い人であろうと努力しているのに・・・」と相手を恨みました。


でも・・・本当は感覚では気付いていたんですよね。

何かの「歪んだパターン」が根っこにあることには。

そして、結局はAちゃんとの関係を繰り返していることにも。

 

それに気付いたのもこの間です。要するに自己肯定感が育っていないから、自分でも無意識に表面上だけ優しい相手を選んで安売りしていたんですね。そして、相手も何となくそんな私の異常さに気付いていたのかもしれません。

 

上のパターンの相手は同年代の人達でした。職場では上司に恵まれ、健全な自己愛を持たない私のことも尊重してくれる人も何人かいました。

 

「ああ、人として尊重してもらえるって・・・こんなに嬉しいことなんだ・・・」

 

そのことが、私が真の問題に気付き、向き合い、乗り越えるための希望の一つとなった気がします。

 

そのことを気付かせてくれるきっかけになったのはやはりAちゃんです。

ぎりぎりのところまで付き合ってくれたAちゃん、そして私が理由を尋ねると逃げずにきちんと説明してくれたAちゃん。彼女には感謝してもしきれません。


「ごめんなさい、そして・・・ありがとう」


これが彼女に対する思いの全てです。


実は彼女のおばあちゃんが同じ町に住んでいて、何年か前に住所を教えてもらって手紙を書いたんですね。上に記したようなことと、お礼と謝罪を・・・返事はありませんでした。その手紙をどうするかはAちゃんの自由なので、どうなったかは分かりません。でも、読んでくれて私の思いが少しでも伝わっていればいいな・・・というのが小さな願いです。

 

母親から長女へ、そしてまた長女へ・・・

自分を取り戻す過程を書くことが終わりに近づいて来ているようです。日に日に自分の中のわだかまりが消えつつあります。生きるのってこんなに楽しかったんですね!

 

本題。


私が何故こんなにも生きづらかったのか。
自分の過去、親、親族を深く見つめることで辿り着いたのが、以前にも書きましたが、

 

「負の連鎖」

 

・・・という言葉です。
虐待やアダルトチルドレンのことについて触れる時によく出てくる用語です。母も祖母も、私の周りにいる人達は誰一人気付いていないでしょう。私自身、これが私の家庭にも潜んでいたことはつい最近まで知りませんでしたし、もがき続けながら、自分の苦しみの根源を暴き出そうとしなければ知らずに、一生苦しんで終わっていたでしょう。


さて、私が知る限りの範囲のところで分かった、「負の連鎖」の源泉は母方の祖母です。社会人になって母から聞いた、祖母の過去はかなり暗く重いものでした。私も詳細までは知らないのですが、とにかく複雑な家庭でつらい子供時代を送っていたようです。時には「死にたい」とさえ思ったこともあったとか。おそらく、祖母もまた健全な自己肯定感が育まれず、甘えたい願望を潜在意識に秘めたまま大人になってしまった人なのだろうと推測します。

そして、祖父と結婚して子供が産まれる。これも私の憶測ですが・・・


何とか自分の子供達にはつらい思いをさせまいと、家庭に留まらず働いた。

祖母が必死になって働いている様子を見た、まだ幼い私の母(長女)が「自分がお母さんを助けなきゃ、支えなきゃ!」という決意をする。

母は妹弟の面倒を見たり、家事を手伝ったりして、とにかく先回りして自分から働いた。

祖母はそんなしっかり者の娘を見て安心。満たされない寂しさを癒すために、いつしか娘を甘える対象とするようになった。

母もそれに応えるべく、祖母にはとことん尽くす。

祖母と母(母親と長女)の共依存関係が出来上がる。

 

こんな感じでしょうか。祖母も母もまたアダルトチルドレンだったのではないかと思います。アダルトチルドレンの類型の中には「ちいママ」というのがあって、これこそまさに幼少期の私の母の姿。文字通り「小さいママ」、家の中で家事をこなし、下の子の面倒を見る役割を負った子供のようです。

 

このような推測をすると、私が抱えていたいくつかの違和感の正体も分かりました。実を言うと、私は母方の祖母に対しては余り「肉親の情」というものが湧いていないような気がするんです。

お年玉をもらったり、クリスマスプレゼントをもらったり、よくしてもらったことたくさんありますが・・・心と心が触れ合うような温かみのある交流というのをした記憶がないんですね・・・実際会話も余りしたことがありません。

思い出せば、母と私で祖母の家に行っても、逆に祖母がうちに遊びに来ても、三人で外出しても・・・いつも話しているのは母と祖母だけでした。私は蚊帳の外だったのです。

私が感じていた違和感とは、そこに誰も入り込めない、「母と祖母だけの二人の世界」だったのかもしれません。母と祖母は何時間でも話せるのでしょうが、私と祖母だと会話が続きません。私も、おそらく向こうも何を話して良いのか分からなかったのでしょう。


そして、忘れられない思い出があります。

子供の頃、祖母が風邪をひいて二人で祖母の家に行ったんですね。どういう経緯だったのかは忘れましたが、母だけが見舞に行って私は車の中に残っていました。早く家に帰りたかった私は段々時間が経つにつれて苛立ち、祖母を見舞わずに歩いて自宅に帰ったのです。しばらくして、母も帰ってきました。彼女は怒って言いました。


「どうして先に帰ったの!?ばあちゃんだって大変なのに・・・」

 

そして泣き出してしまったのです。私も確かに我侭で冷たかったと思います。でも、やはり小さい頃から心の通った交流をしてこなかったためか「肉親の情」が祖母に対して湧いていなかったのだと思います。

でも・・・この母の姿に何とも言えない違和感を覚えたのです。本当に自宅に帰ったのかも分からない我が子よりも、自分の母親を心配していた。その言葉の中には「貴女にとっても大切なおばちゃんだから、心配しないとね」というよりも「私のお母さんを大切にしない、あんたは悪い子だ!」という怒りと憎しみが多分にあったのかもしれません。自分の立ち位置が、「子供の母親」として言っているのではなく、「母親の子供」として泣き喚いている・・・そんな風に見えるんですよね。

 

父方の祖父母も時々、彼女への不満があったようですが、その内容もここに起因しているのではないかと思います。要するに彼女の潜在意識の中では、自分は「父の家に嫁いだ嫁」ではなく「実家を支えるしっかり者の長女」であり、共依存型のマザコンなのでしょう。

 


妹や妹の子供達に甘いのも、自分の大切な母親の血縁だから。

そして、母親に気に入ってもらうためにしっかり者の長女で居続ける。

彼女が自身の母親の「母親役」になっているんです。(親子の逆転現象)

私もまたその役割を繰り返されそうになりました。

気が付かなければ、私はずっと彼女の母親役でいるところだった。

だから、彼女は私が弱さを見せたり甘えたりすると不機嫌になり、怒ったのです。

私が良い子でいる前提の、自身の意思に沿う限りの甘えは許してくれましたが、

自身がしてもらえなかったことを我が子にもさせなかった。

 

 

思えば、彼女は私にも「自分の母親への愛」を強要してきていたのかもしれません。「貴女にとってのおばあちゃんだから」というのではなく、「私の大切なお母さん」として・・・

 

以前、定年で辞めた私の元上司、女性なんですがこの方はとても元気で明るく、心身ともに健康で人として尊敬出来る人でした。今でも交流しています。仕事に対しては厳しい人で言うところは有耶無耶にせずきちんと言う人です。ですが、それにはきちんと理屈が通っていて、理不尽なことで怒ったことは一度もありません。私はこの方に会って、ようやく「人として尊重されることの喜び」を知りました。職場で私を人間として育ててくれた人の一人です。

 

でもこの方・・・どうして、ここまで心身ともに健康でいられるのか・・・常に生きづらさを抱えた私にとっては不思議でなりませんでした。でも、今はっきり分かります。健全な自己肯定感を持っているからです。


そして、この方・・・若い頃母親の介護をしていたようです。言うべきことは言うタイプなので実母とも色々やり合ったようですが、「自分の母親はとても愛おしい」と言っていました。やはり、そこが重要だったのではないかと。実母だけれど言うべきことは言って、わだかまりは残さない。お互いに本音でぶつかり合って・・・一巡した後に、本当の愛情が芽生えた・・・のだと私なりに推測しました。

 

それに比べると、母と祖母の関係は物凄く仲良しに見えてどこかいびつなんですよね。不平、不満、怒りをぶつけて一巡することなく、ずっと長きに渡って癒着し続けているように見えるんです。一卵性母娘という言葉がありますが、まさにあれなのではないかと。祖母とて勿論、悪意があってこういう子育てをしてきたわけではない。子供達のことは皆愛している・・・

 

でも、家族間での抑圧がある以上、愛情・善意・絆があったとしても、

 

機能不全家族毒親アダルトチルドレンは生まれてしまうのです。

 

むしろ、愛情や善意、絆で相殺されそうになることが怖い。

 

今、ちょっとしたブームの毒親ですが、あれは幸せそうに見える家庭だって十分ありますよね。子供時代の抑圧(=毒)を抱えたままの人が親になり、子供に繰り返すのだと定義すれば。

祖父母の時代だと、こういう心理学も普及していなかったし、インターネットもなかった時代ですからこういう闇や毒はそのまま次の世代に引き継がれてしまったのですね。今、そういうことで悩んでいる人達が非常に多いのは、やはり「負の連鎖」のせいなのかもしれません。ただ、今はインターネットの普及により、心に違和感を持つ人が仲間やカウンセラーと出会うことで、救われる時代になったのだと思います。

 

食事は一人で取っても充分美味しい

今日はちょっと疲れ気味なので、明るめの記事を書きます。でも、ここ3日ぐらい自分と家族の関係について重々しく赤裸々に語っていますが、書いた後は不思議なことに必ず気持ちが清算されているのです。なので、ふと「自分を取り戻しつつあるけど、本当に大丈夫なのだろうか?」という不安が過ったりしますが、基本的に今生きていること、自分が自分であることが楽しくて仕方がないのです。

 

さて、今日は食事について。

 

今までは「一人で取る食事って味気ないな・・・」と思っていました。

 

でも、最近は一人で取る食事が楽しくて、そしてハッピーでたまらないんです。

 

なんていうのか・・・「知ろう、楽しもう」という気持ちが心の底から湧きがってくるのです。そして、シンプルながらバランスを考えて自分の手で作っています。料理自体が物凄く好き!というわけではないのですが、こういう作業も(皿洗い含めて)それなりに楽しいんだねっていう感じ。とにかく、一つ一つの事柄をゆっくり、丁寧に行うようになったのです。

 

すると今まで何気なく食べていた物が、とても美味しく新鮮に感じられる。ずっと前から食べているのに「これ、こんな味していたんだ!」と初めて気付くことが多くなりました。そして、ドカ食いがなくなりました。

 

前まではとにかく口や胃の中に突っ込んでいく・・・という作業でした。まるで、一種の自傷行為でもあり、憂さ晴らしとしての行為で、料理・後片付けを含んだ食事という行為を楽しむ・・・ということがなかったんです。勿論、食べることが基本好きなので美味しいと思ったことは数えきれないほどありますが、「自分が自分として感じている」というのは生まれて初めてのように思えます。

 

そして、甘い物も大好きなので、前は同じくドカ食いのオンパレードでした。でも、今は昼食後に紅茶と一緒に一つだけ、心の底から味わって食べています。そして、スーパーやコンビニで売られているお菓子を買わなくなりました。どうせ味わうのなら、地元のお菓子屋さんや出かけた時にしか買えない物が良い。そして、「ここのお店のケーキ、こんなに美味しかったんだ」って・・・一人何とも言えない感動を覚えるのです。ずっと何年も前から食べているのにね。

 

こうやってゆっくりと、食事を楽しむことによって、食品に対する畏敬の念が芽生え始めました。人間も生き物である以上、他の命をもらわないと生きていけない。「巡り巡って私のところまで来てくれたんですね。どうもありがとう、美味しく頂きます。美味しい・・・!とても幸せだな・・・満たされているな・・・」という建て前的なものではなくて、心の深い深い奥底からそう思えるんです。それも強制的に自分を思いこませようとしたのではなく、自然と湧き上がってきて止まらない。

 

もう一つ。私はずっとダイエットに励んでいました。

そして、がむしゃらに痩せることと健診の結果を良くすることだけを念頭に置いていました。でも、どんなに頑張っても思うように痩せなかった。それどころか太っていく・・・今ならその理由が痛いほど分かります。私が、私のことを愛せていなかった・・・その鬱々とした想いが身体にもはっきりと出ていたのです。

 

そして、悟りました。

 

自分を自分として認め、愛することが出来ると自然と痩せていくんですよね。

 

ダイエット!健康!ダイエット!健康!と闇雲に意識しなくったって・・・

 

いや。痩せていく・・・とういうよりは・・・

 

心が不健康であるが故に体内に溜まってしまっていた毒とお別れをし、

 

身も心も本当の自分に返っていく・・・と言った方がいいでしょう。

 

 

 

食事はその気さえあれば一人でも楽しめます。作家・森鴎外の娘、森茉莉さんもそんなタイプではないでしょうか。彼女の綴るエッセーでは、日常の何気ない物がとても品に溢れ、輝いています。彼女の数々の著作は、まるで宝石箱のように煌めいています(*^_^*)

 

そして、二人以上でもまた違った楽しさがある。そこに自分のことを健全に愛している自分がいてくれさえすればね・・・・・・

 

母の二面性に傷つき、悩んだ日々

楽しい記事と交互に・・・と思いましたが、私はどうしても書きたくなり、自分を取り戻すまでの心境の変化を綴っています。

今日から、いよいよ私の生きづらさの直接の原因である「母親」について書いていきます。あくまでも私が見た、感じた母親像ですが、これもまた真実であり、私の中で「なかったことに出来ないもの」なのです。

 

 

私の母は今私と同じ職場で働いていて、臨時として週二日来ています。

母の仕事ぶりはというと、前の職場では、福祉の仕事を精一杯頑張っていて、それで救われた人も多かったのだと聞いています。そして今・・・周囲の方々の評判も凄く良いらしいです。それからトップを始めとする他の職員も「この職場になくてはならない人」、「あんなに良い人はいない」、「うちの職場はあの人をもっと見習うべき」と称賛の的となっております。

また、母は自分の母親(私にとっての祖母)・兄弟姉妹にもこの上なく尽くしているのです。傍から見ればなんとも輝かしく、素晴らしい人物でしょう。

 

ですが・・・・・・私は知っていました。というより、嫌でも見せられたのです。

母の闇の部分を。

 

といっても一般的な虐待を受けていたとかそんなことではありません。話もたくさん聞いてもらったし、物も買ってくれた。美味しい料理も作ってくれたし、学校にも出してくれた。たくさんの愛情をもらったことは事実です。

でも・・・・・・私は自分の弱さ、醜さ、甘さを含む「本当の自分」を曝け出すことは出来ませんでした。また、「本当の望み」を打ち明けたこともありません。

 

私にとって母とは・・・「おかあさーん!」と言いながら、その胸に飛び込むことの出来る人物ではなかったのです。これは今でも変わりありません。


話をしていても、一緒にいても・・・私は常に心のどこかで母の顔色を伺っていました。

「今日は機嫌が良いから、ここまで話しても大丈夫かな?」

「この先は言っちゃダメだろうか?」


どうして実の母に対し、ここまで怯えているの?
答えはただ一つ。

 

「怖かったから」


どこが怖かったのかというと、私が甘えたくて弱さを見せると・・・何故か不機嫌になる、怒るのです。そして時には傷つくこともたくさん言われました。その理由、心理が知りたくて、親の立場の人や年上の人に相談をしたこともあります。

 

「親だから子供を思うが故にきつい言葉になってしまうこともあるのだ」

「我が子に対しては責任があるから、つい厳しくなってしまうのだ」

 

確かにそれも一理あると思います。ですが・・・私はどうしても納得出来なかった。母の心の奥底に何か別のモヤモヤしたものが隠されている気がしてなりませんでした。

 

私の中でどうしても忘れられない思い出があります。

私が一年未満で最初の異動を経験しひいひい言っていた頃、この国であの大震災が起きました。私の地域は直接被害を受けませんでしたが、仕事のつらさと相まって心はかなり不安定揺らいでいました。そんなある日、母が私の家に来ました。夕食を一緒に取るためにご飯を持ってきてくれました。しかし・・・母の機嫌は余りよろしくないようでした。

上で述べたとおり、不安で胸がいっぱいだった私は恐る恐る、だけど思い切って母に打ち明けてみたのです。

 

「ねえ、お母さん・・・お願いがあるんだけど。抱きしめてもらっていい?」

 

これが私の「本当の望み」でした。物や料理、お金もありがたい。でも、私が心の奥底で求めて止まなかったのは「原始的な、動物的な甘え、温もり」だったのです。私が1歳の時に母が職場復帰し、私は祖父母に預けられた。私の中には無意識の欲求不満が渦巻いていたのでしょうね。その証拠に「満たされなかった幼児性」は私の中に居座り続けました。


私はそっと母にくっつきました。

しかし・・・母は私の願いには応えてくれませんでした。相変わらず怖い顔で、こう言いました。

 

「熊は我が子を守るためにどうすると思う?覆い被さるんじゃないんだって。自分を盾として、子供を逃がすんだって」


私の思いを受け止めずに、話を逸らしたのです。思いは通じませんでした。


「ああ、母は私を受け入れてくれないんだな・・・勇気を出したのに・・・」

 


そんなこんなで。
母と話せるようになってきました。職場が変わったのがいいきっかけになったのでしょうか。かなり穏やかになりました。


「良かった。お母さんと少しずつ歩み寄れるようになったんだ・・・」


ところが・・・楽しく話していても、悩みを分かち合って喜びを感じていても・・・私は常に心のどこかで母を恐れて、彼女の機嫌を損ねないようにしていました。


そして、ある時・・・これ以上耐えられなくなった私は爆発しました。爆発と言っても面と向かってなんて直接は言えません。だから、態度に出しました。母を避けるようになったのです。彼女の言葉に対して反応を示さなくなりました。そうすると、母は怒ってこう言いました。


「私と一緒にいたくないんでしょ!?嫌なの!?わかった、もう来ないから!!」


ドアを荒々しく閉めて私の家を出て行きました。

・・・・・・・。

後日、謝りに来ました。

 

「ごめんね。きついこと言って。」

「私・・・何か反抗期来たみたいなんだ」(思春期にそれらしいものはこなかった私)

「何、それ!?私に対しての反抗期なの!?」

「ううん・・・社会に対してかな?」

 

おわかりでしょうが、言葉でこそ謝っていても、態度が全然謝っていなかったのです。

相変わらず威圧的で、その姿勢は「私の何が悪いの?」と言わんばかりです。爆発してみた私も本音をぼかすしかありませんでした。

 

何度も言いますが、彼女は仕事関係の人や血の繋がった家族に対してはどこまでも優しく、寛容です。彼女を求める電話が鳴ればすぐに出向きます。どこまでも、相手が気の済むまで相談に乗ります。なのに・・・何故、我が子である私に対してはそれが出来ないのか?

  

私だけではなく、現代の女性達は実母との悩みを抱えている人が非常に多いようです。(それも長女の立場の人。相談するのも苦しくて耐えられなくなった娘の方から。)


その中から一つの答えが導き出されました。

 

母もまた抑圧されたものを抱えているのではないだろうか?


私は実母に甘えられない自分の苦しみと、自分が本音を出しても受けれてくれない彼女の心理が知りたくて、同じ悩みを抱えた人達を探すべくネットをたくさん見ました。そして、信頼できる人にも相談しました。


そこで、辿り着いた答えが・・・「負の連鎖」です。

 

長くなったのと、自分の気持ちを落ち着けるために一旦ここで切ります。

もし、同じことで苦しんでいる人がいて、このブログが少しでも助けになれたら・・・という願いも込めて書いています。