随想手帖

時に真面目に、時にゆるく綴っております。ちなみにオタク(腐)です。

「わが教え子ヒトラー」(2007年 ドイツ制作)

久々の更新の映画感想です。

ユダヤ人監督によるナチスヒトラーを扱ったブラックコメディ映画です。

 

 

あらすじ

第二次世界大戦末期のドイツ。敗戦の色が濃くなりつつある中、かの総統アドルフ・ヒトラーは心を病んで引きこもっている有様だった。宣伝相のゲッベルス博士は国民の士気を高めるために、総統に演説をしてもらおうと試みる。そこで選ばれた講師がヒトラーと同じ名前を持つユダヤ人教授アドルフ・グリュンバウムであった。グリュンバウムは収容所から官邸に連れて来られ、そこでヒトラーと対面するが・・・

 

おそらく、私が初めて触れたブラックコメディ映画だと思います。

ナチスヒトラーをコメディにするのってどうよ?」という声も結構あがったようです。私としては、「ナチス」と聞くと流血・暴力シーン満載の映画(そういうの苦手だから)を想像してしまったので、ドキドキしていましたがコメディにしてくれたおかげで大変見やすかったです。

 

内容としては手塚先生のアドルフに告ぐを思い出す描写もあったり。ヒトラーが実はユダヤ人だった」というところとか。この説は割とあるみたいですね。

 

主演のウルリッヒ・ミューエさんを知ったのは同じくドイツの映画善き人のためのソナタです。そこでは国家(東ドイツ)に忠誠を誓いつつも、次第に自分のやっていることに疑問を覚えていく大尉を演じていました。その時の彼はちょっと強面な感じだったのですが、こちらの方は圧倒的不利な状況に立たされながらも強かに生きるユダヤ人教授を見事に演じきっておりました。でも、ミューエさんはもう亡くなられているんですよね。それも50代で・・・とても良い役者さんなだけに残念です・・・

 

監督さんのインタビューか何かで「彼をいつまでも怪物扱いしているようでは先に進めない」とおっしゃっていました。また、映画の内容について「まるでヒトラーに同情するような作りだ」という批判もあったようですが、監督さんとしては「笑って独裁者の立場から引きずりおろす」みたいな答えがあったような気がします。(これはモンティパイソンもよくやっている手段かと。彼等も「ヒトラーのいる民宿」というスケッチをやっていましたね)

 

一番印象深いシーンは最後の演説の場面。

 

演説間近になってヒトラーの喉がおかしくなり、声が出なくなるんです。そこで呼ばれたのがグリュンバウム教授。演説台の下から教授が口パクで話す。こうして、二人のアドルフは同時に“演説”をします。

その時、教授が原稿を無視してヒトラーの情けない真の姿を国民にぶちまけるのです。「私は未だにおねしょをしてしまう」とか「アレの最中で萎んでしまう」とか。

ヒトラーの口パクなので一人称は「私」なのですが、ここのシーンで二人のアドルフはシンクロしたんですよね。そして、極めつけには・・・

 

「こんな情けなくて、ちっぽけな人間であっても世界を征服することが出来るのだ」

 

ここで教授はナチス幹部達に撃たれます。撃たれて瀕死になりながらも、教授は最後の一声を振り絞ります。

 

「自分に・・・癒しを・・・」(ドイツ語だと「ハイル・・・マイセルフス・・・」)

 

「ハイルヒトラー」はご存じナチスの敬礼。作中でもうんざりするぐらい、幹部達がこの遣り取りを交わしています。これもナチスに対する最大の皮肉の一つですね。

 

この映画の中では、ヒトラー父親に虐待され人格が歪んでしまったことになっています。そしてユダヤの血を引いている設定。そこからユダヤ人を憎む心が芽生え、あのホロコーストに繋がっていくことになっています。ヒトラーは自分で自分を癒せていなかった。自分で自分を愛することが出来なかった。それが全ての元凶だったのです。

 

だから、教授は幾度もヒトラー殺害の機会が巡って来ても殺せなかった。二人で共に過ごすうちに人間としてのヒトラーを知ってしまい、同情・共感を持ち、また立場が違っていたら自分もこうなってしまったのであろう姿が見えたのでしょう。そして、そうなりかけた自分(憎しみに支配されヒトラーを殺しそうになった自分)を嫌悪・自制した。

 

上記のとおり教授は最後の演説の時、命令を無視してヒトラーの真の姿を国民に伝えます。

 

それは復讐であると同時に、もう一人のアドルフへの解放・救済でもあったような気がしてなりません。そして、自分自身に対しては自嘲の意味もあったでしょう。

 

「こんな情けなくて、ちっぽけな人間であっても世界を征服することが出来るのだ」

 

これを教授サイドで解釈すると、今まで収容所で散々虐げられていた一介のユダヤ人でしかなかった自分であっても、総統に気に入られることで彼を裏から操ることが出来るのだ・・・ということなのだと。

 

まさにアドルフ・ヒトラーとアドルフ・グリュンバウムは合わせ鏡のような存在だったのですね。お互い、状況が違っていたら有り得たかもしれない未来。

 

教授は最後演台にしかけられた爆発を受けて、おそらく死んでしまったのでしょう。悲しいけれど、家族を残して・・・でも、そのシーンでの彼は笑っているんです。

「自分のやるべきことはやりとげた」・・・まるでそう言っているかのように。

 

この映画の最初と最後のシーンでグリュンバウム教授が「これは真実の話さ」と、さもドキュメンタリーのように語っていますが、教授が架空の人物である以上これは「架空の物語」なんですよね。

 

「真実だった」・・・というのは、おそらく「独裁者アドルフ・ヒトラーは怪物ではなく、一個の人間であった」というところなんだと思います。

 

 

あと、この映画の好きなところは俳優さん!

主演の二人のアドルフ以外の方々も良い味出してるんです。

そして、映画にこめられた皮肉の数々・・・それらはナチス幹部達が体現しています。

長くなるので、続きはまた後日。

 

 

 

 

わが教え子、ヒトラー [DVD]

わが教え子、ヒトラー [DVD]