随想手帖

時に真面目に、時にゆるく綴っております。ちなみにオタク(腐)です。

元・私が苦手だった人々 ①意識高い系

私は結構好き嫌いが激しいほうで苦手なタイプが多い人間です。私の苦手なタイプというのは数グループに分かれていますが、ある共通点があることに気付きました。

各カテゴリーごとに見ていきたいと思います。私にみたいにこういう方々に悩まされてきた人は多い気がするので・・・参考になればなと思います。

 

・・・で、タイトルに「元」とついたのは、自分自身の中で線引きや棲み分けが出来るようになり、以前ほど苦手意識がなくなってきたからです。

 

では、まず「意識高い系」と呼ばれるタイプについて。

 

まず、詳しい定義としてはリンク先をご参照下さい。

 

意識高い系 - Wikipedia

 

本質の部分で言えば、「立派なことを言ったり、やったりしつつも本当はそんなことをしている自分が大好きな人々」ということになります。

 

 

では、何故私がこの手のタイプに警戒心・苦手意識を覚えるかというと・・・

 

他人を巻き込みたがる

 

・・・からです。

 

自己完結している人だとそんなに嫌いではない。関わらなければいいだけですから。でも、やたら自分の側に引き寄せようとする人達は本当苦手でした(>_<)

 

自分の近くでちょっとそれっぽい人が何人かいたんですね。私は接していて違和感を覚えました。「いいこと言ってるけど、なんか違う・・・ついていけないな」・・・と直感の部分で感じていました。今思えばきっとこういう人達がいわゆる「意識高い系」なんだろうなって。

 

例えば職業柄と自分の身内が携わってきた関係で私は「まちづくり」・「地域貢献」という分野に興味があり、自分でもちょっとずつ調べたりしていました。

 

自分の近くの人達もそういうことに興味があり、行動を起こしている。

でも・・・不思議なんです。その人達の行動を見ていると何かをやろうとする時というのは、必ず「皆で一緒」なんですね。まず集会ありき、団体ありきなんです。

 

「目的のために集まる」のではなく、「集まるのが目的」になっている状態です。

 

そして、その集団の掲げる目標が「若者が一丸となって、どうやったら地域を変えていけるか」ということなんです。

 

私の場合だとそんな情熱的で大きな目標は掲げられないので、とりあえず「自分の仕事をきちんとやる」とか「人と会ったら挨拶をする」という小さな目標を自分に設定して、出来る範囲でやりました。

 

私は経験上「一致団結」や「一丸となって」という言葉がすごーく苦手なので、そういう人達とはどうしても距離を置いてしまいます。何だか同調圧力によって飲み込まれ、最後には「個の部分」を殺されそうで怖いんです。

そして、一歩引いたところから見ていて不思議だなと思うのは、上記のとおり「何故いつも皆で行動しなければならないんだろう?」ということでした。

だって、自分の住む地域に貢献をしたいのであれば、誰かに公言しなくとも一人であっても出来るはずです。

例えば「毎日少しずつ地域のゴミを拾う」だとか「ちょっと親しいお年寄りの話し相手になる」だとか・・・それだって十分に地域貢献だと思うんですよね。

 

そこでどうして、「まずは皆で・・・」という発想になるんだろう?

 

推測ですが・・・「そういうことをしている自分がかっこいい」という自己陶酔の部分があるけれど、一人でやるには怖い、寂しい・・・ということではないでしょうか。

 

怖いからまず他人と繋がらなければ何も出来ないし、しようとしない。(「意識高い系」の人達って、やたらセミナーや勉強会が大好きな気がします。あとよくネット上で言われていますが「人脈」という言葉も大好き)

 

何だか・・・「地域貢献」や「まちづくり」という言葉が先に出てしまって、その人達が個人としては何をやりたいのか、どうやって生きたいのか・・・というのが全然見えて来ないんです。

 

そして、「自己陶酔」を裏付けるものとして、彼等は「自分の話ばかりして、人の話を聞かない」というのがあります。自分が本当に成長したいというのなら、貪欲に何かを吸収しようとして他人に対する好奇心も持つはず。しかも話し合いの場というのが、大体素面の席ではなくで、飲みの席というのが非常に多い。真剣に話し合いたいのなら、必ずしも飲み会という形をとらなくてもいい気がします。

 

私も最初は「地域貢献」ありきで考えている部分もありましたが、今では「自分のやりたいことで地域貢献できればいいな」と考えています。貢献と言っていますが、まずは自分が幸せになる、納得する生き方ありきで考えています。その上で、自分を求めてくれる人に出会えれば、助けになりたいというか・・・ゆるく繋がりたいというか・・・同じ生きづらさを抱えている人達の受け皿になれたらな・・・という感じでしょうか。

 

 

 

余談ですが、「意識高い系」の人達とは別に「本当に意識の高い人」というのはいますよね。

 

私が真っ先に思いつくのは、架空の人物になりますが・・・

 

「木を植えた男」のブフィエ氏  です。

 

ブフィエ氏は家族を失って一人になりながらも、誰かに称賛されたいと思うでもなく、毎日淡々と種を荒野に植え続けるのです。二つの世界大戦という大事件やいくつかのトラブルに見舞われながらも、ブフィエ氏はそんなこと気に留めるでもなく種を植える作業を続けます。そして・・・最後には奇跡が起こり、荒野に森が甦ったのです。でも、人々はその奇跡が一人の男が起こしたことは知りません。ブフィエ氏は養老院で息を引き取ります。

 

ブフィエ氏は淡々と自分のやりたいことを続けただけ。誰かに称えられるということもありませんでしたが、本人にとっては納得のいく人生だったのでしょう。