随想手帖

時に真面目に、時にゆるく綴っております。ちなみにオタク(腐)です。

元・私が苦手だった人々 ②マイルドヤンキー

マイルドヤンキー・・・という単語はつい最近出来た単語のようです。

 

マイルドヤンキー - Wikipedia

 

この単語を聞いてその意味を知った時、私はすぐにピンと来ました。

すっごく簡単に言うとスクールカーストの上位にいたイケている男子・女子、大人になるとそのまま地元で就職、若くして結婚しちゃう男女・・・といったところでしょうか。

 

体育祭・学校祭・合唱コンクール等の行事を仕切り、出し物なんかは大体彼等の意見で決まります。キャピキャピで勢いがある、ちょっと不良チックな人達なので、私のようにヒエラルキー最底辺に属していた人間にとっては怖い存在でした。

 

中には気の良い人達もいるのですが、やっぱり基本は怖い。何故かというと、逆らえないオーラが出ているし、↑のイベントで「仲間」や「一致団結」というスローガンを掲げている割にはヘマをすると「出来ない人の悪口を言う」、「あきらかに不機嫌になって険悪な空気を醸す」・・・という風に変貌する人が多いからです。属性:音痴+運動音痴のヒエラルキー最底辺の人間にとっては、屈辱であり地獄ですよ~(T_T)

 

・・・で、大人になった今。

スクールカーストから解放はされたのですが・・・小さな地域では、大人の社会であってもこのマイルドヤンキーがヒエラルキー上位者として、幅を利かせていることが多いです。先祖の代からその地域で生まれ育った人が大人になって、その地域の職場の一員となっているため当然といえば当然ですね。(個人的な感想ですが、特に盆地・山間部・内陸の地域ほどこの特性が顕著な気がします)

 

だいぶ線引き・棲み分けが出来るようになったとはいえ、実はまだこの手の人達が怖いです(苦笑)苦手というより怖い。近寄りがたい。

 

若い人だと「この人マイルドヤンキーっぽいな」というのは見た感じでも分かるのですが、ある程度の年齢の人になると、パッと見て分かる感じというのではなくて、そういう雰囲気が漂っている感じです。ノリだとか、余所者が入れない内輪感とか・・・

 

今の職場では私は余所者なので、やはり馴染めないところがあります。

元々、地元の学校でもマイルドヤンキー系のノリは苦手で(上記のようにイベントでヘマをして、色々言われたことも多かったので)、前回の記事にも書きましたが、私は同調圧力に飲み込まれそう、個が殺されそう」ということに対して凄い恐怖を抱いている人間です。

 

余所者が地縁・血縁のない地域に溶け込むために必要なのは、そこに住むマイルドヤンキーに同調出来るか、そういうノリを持っているか・・・だと思います。

特に「まちおこし」や「地域活性化」に携わりたい人にとっては絶対条件かつ必須項目かと。こういうことを率先してやろうとするのもマイルドヤンキーの特徴であり、何よりそのカラーに染まることで、支配層のお目にかなうというのはこの上なく有利だからです。

(ただし、新しいことを始めている割には「意識は常にどこか、内側を向いている」印象があるんですね。本当の意味で外側にある世界を見ていない。)

 

私はHSP・内向型気質のため、絶対に「一人の時間」が必要な人間なので、「皆一緒にワイワイ」というマイルドヤンキーのノリにはどうしても適応出来ないのです。定時に帰れる今の仕事であっても、「たくさんの人の中に一日中、身を置く」ということでかなり疲弊してしまうので、それ以外の時間も・・・というのは譲れない部分なのです。

 

彼等の文化をどうこうしたいわけではないのですが(しいて言えば「ほっといて」くれるのが一番嬉しい・笑)、彼等のように声の大きい人・目立つ人以外の人達が安心出来る居場所も、もっとあればいいのにな・・・と常々思っています。都会のように「色々な人間がいて当たり前」という場所ではない、小さな地域だからこそ、その重要性を強く感じるんです。

私のように「人とはゆるく繋がりたい」と思っている人や、ヒエラルキーの最底辺で苦労してきた、あるいはその枠組みから疎外された、染まれなかった人たちというのは、ある種の「生きづらさ」を抱えていると思います。

将来、自分も含めたそういう人達の居場所を作る・・・というのが私の密かな夢だったりします(*^_^*) 

 

昔は華やかなスクールカースト上位者やマイルドヤンキーのような人達を羨ましく思ったりもしましたが、ここ最近・・・彼等の意外な弱点では?と思われる部分に気付きました。

彼等をイメージしてと言われたら、大体「誰かと一緒」or「団体・集団」という図が頭に浮かびませんか? 一人で行動をしている・・・というイメージは湧いてこないのではないでしょうか?

 

おそらく、彼等は孤独に人一倍弱いのかな・・・と思います。

 

彼等はヒエラルキーという枠組みが解体される、もしくはそこから放り出されて個人に帰った時、案外何も出来ないのかもしれません。そう考えるのは、彼等は常に誰かと一緒にいることで、自分の本心と向き合うことが少なく見えるからです。

 

真に自立している人というのは、仲間や友達との時間を楽しみながらも、自分一人の時間もきちんと楽しめる人だと思うんですよね。ちゃんと孤独とも向き合える人。

私も勿論、完全な孤独は怖いのですが、「合わない人と一緒にいることで、病んでしまうくらい疲弊する」ということの方が怖いので、基本的には一人でいることにしています。

 

でも、一度はとことん孤独になって、自分の本心と向き合う時間を取るということはすごーーーく、大切だと思います。自分が自分として生きる上では・・・ね。