随想手帖

時に真面目に、時にゆるく綴っております。ちなみにオタク(腐)です。

「ゆるい繋がり」がもっと増えますように・・・『コミュニティ』に対して思うこと

 

自分の職業柄かいわゆる『地域おこし』とか『まちづくり』ということに興味を持って、色々なブログやサイトを見て考察しています。(でも、仕事としては二度とするつもりはないです・苦笑)

 

すると、年々その地域ごとに『地域コミュニティ』がたくさん創られて来ているのですね。ここでいうコミュニティとは、公共団体や自治会とかではなく、まさに『地域おこし』や『まちづくり』という目的に特化したコミュニティのことです。

私が今住んでいる町にも何年か前にそういうコミュニティを立ち上げた人がいて、少しずつ地域の外部にも周知されてきているようです。

私も興味を持って何度かそこに訪れたことがあるのですが、感覚で合わないと判断したため今は行ったりしていません。そして、何故か自分の中にある種の奇妙なモヤモヤ感が残っているのです。

 

「この違和感は何だろう?立ち上げた人、共に活動をする人、そこに通う住民・・・皆『まちづくり』に燃えていて楽しそうなのに、自分は溶け込めない・・・何かが違う・・・」

 

そこに関わっている人達は皆とても充実しているように見えますし、精力的に活動をしています。地域住民とも良好な関係を築けていますし、実際に幸せになった住民の方も多いでしょう。

 

でも、私の考える『地域おこし』・『まちづくり』とは違っていたんです。

 

最近、その理由ようやくわかってきました。

それは・・・

 

そこに強固な、内輪向けのコミュニティが出来上がっているから

 

・・・です。

主に地域住民の交流の場として創られたコミュニティなので、本来なら「どの住民に対してもウェルカム」なはずなんです。けれども・・・そういう目的を掲げたコミュニティに対してさえ「声の大きい人、言えることの出来る人、目立つ人、積極的な人」のみが楽しめる・・・という印象を抱いてしまったのです。

なんだか、もう独自の人間関係・雰囲気が形成されてしまっていて、もっとお話したいなと思った人まで辿り着けなかったり・・・たまにしか来ない自分が、これ以上深入りしたらダメなんじゃないかって・・・

大多数の人から見れば取るに足らないことだと思うのですが、そのコミュニティの人達と接していると、些細な話し方や動作から上記のモヤモヤの部分も見えてきてしまって・・・良い人もたくさんいるとは思うのですけれど・・・

 

「話をして欲しいのなら、自分からもっと入っていけばいいのではないか?」と思われるかもしれません。

 

私は自分の口で自己主張をするのが苦手です。話し下手というのもありますが、楽しそうに盛り上がっている人達に割り込んでまで、自分が話したいとはどうしても思えないんです。

話を聞いてくれることがどれほどありがたいか、話に割って入られることがどれほど嫌か・・・それを考えるとやっぱり出来ない。また、ワイワイ盛り上がっている場というのは、もっとゆっくり話したい私から見れば会話のスピードが速すぎて、見聞きしているだけでも疲れてしまいます。そして自分が話すタイミングも掴めないまま終わってしまう。

 

勿論、生きていく上で「言うべきところは言う、伝えるべきところは伝える」ということは必要なので、少しずつでも取得していかなければなりません。

でも・・・口と声を使ったコミュニケーションのみを重要視、目立った者勝ち、早い者勝ち、言った者勝ち、それ以外の人間は置き去りにされるか、隅に追いやられるという世の中はとても悲しい・・・そう思います。

コミュニケーションの方法、自分を表現する方法はもっとたくさんあっても良い。例えば、私のように文章で表すとか。表情であったり、絵であったり、音楽であったり、身振り手振りであったり・・・過去から現在に至るまで、多くの芸術家達もそのようにして自己を表現してきたのでしょう。

でも、今の世の中はスピード・成果主義みたいになっていて・・・最近になってようやくそれ以外の価値観も認められるようになってきたというか・・・

 

もっと「ゆるい繋がり」も増えれば良いのにな。

ゆるい・・・というか、「時にはゆるく、時には強く・・・という変幻自在。そして、共に変化していくことを恐れないつながり」とでも言うのでしょうか。

何かイベントがあっても絶対参加!という感じではなくて、「気が向いたら来てね♪」みたいな。

 

もっと多種多様な繋がりが増えていくと良いですね(*^_^*)