随想手帖

時に真面目に、時にゆるく綴っております。ちなみにオタク(腐)です。

「一角獣・多角獣」(シオドア・スタージョン 1964年)異色作家短篇集③

ブラウンに続きアメリカの作家さんです。ダールの「キス・キス」の読後、このシリーズをもっと読みたくなり、Amazonで購入しました。少しずつ買っていこうと思い、ブラウンとスタージョンのを注文。しかし、全巻制覇したくなりついにマシスン以降の作品をまとめ買いしました(笑)

 

スタージョンもなかなか癖のある作家さんでしたね。ブラウンとはまた別の意味で難解というか・・・これも読んだのが一年ぐらい前なので、ほとんど忘れていますが覚えているものだけ書きます。

 

素直に好きだなと思えたのが「孤独の円盤」でした。詳しい内容は忘れたのですが、最後の一文が忘れられません。

『長い孤独にも必ず終わりはある』

これを読んだ時、私はまだ他人軸で生きており、常に「生きづらさ」を抱えていました。自分を出しながら、他人とうまくコミュニケーションを取ることが出来なかったんです。なので、「生きづらさ」から来る孤独感にも苛まれていました。この短編を読み終えた後、リアルで涙が出ていました(/_;) これはスタージョンが読者に向けた温かいメッセージだったのかも。

 

ビアンカの手」は究極のフェティシズムのお話です。フェティシズムもここまでいくと、まあ・・・凄いもんだね。現代の萌え文化がちっぽけに見えます、本当。

 

「めぐりあい」「反対側のセックス」はザ・手塚ワールドという感じでした。「シジジイ」という性別に関する独特の概念が出てきます。難しくて理解出来ませんでしたが、手塚先生の火の鳥っぽい印象。「望郷編」だったかな、両性具有の宇宙人が出てきましたよね。あのイメージです。

 

「死ね、名演奏家、死ね」はブラウンの「さあ、気ちがいになりなさい」と並ぶ強烈なタイトル!フルークという楽団員が嫉妬の余り団長のラッチを殺してしまう・・・でも、団長の影響はなお濃く残っていて・・・という内容。ラッチはチート級の出来る男で誰からも愛され、尊敬されていました。フルークは猛烈な嫉妬心を抱きつつも、実は誰よりも団長に憧れ、愛していた・・・ということが判明します。まさに愛憎。

 

この短編を読んで、真っ先に思い出したのが任天堂のゲーム「ムジュラの仮面」のグル・グルさんです。彼は作中に出てくるゴーマン一座に所属している楽師ですが、昔は別の楽団にいました。その楽団のリーダーが犬だったんです。それが気に入らなかったグル・グルさんはリーダーのお面を盗んでしまったのです。(お面は「ブレー面」と言って、動物の子供達をあっという間に成長させる力を持っています。)

リンク(主人公)に過去を告白した後、寂しそうにこう言います。

「リーダーのお面だったからね、欲しかったんだ。リーダーは凄かったよ。あっという間に皆を一人前にしてしまうんだから」

フルークのラッチへの思いというのは、グル・グルさんのリーダーへの思いに通じるものがあるように思えます。

この作品を読んだスタッフがいて、それをゲームのキャラに反映させたのかなと考えたりしたぐらい。

 

「考え方」はシンプルなタイトルとは裏腹に恐ろしい内容です。

人とは違う考え方をした男がいる・・・例えば、相手にどうしようもないほど腹が立った時、「相手に物を投げる」のではなく「相手を物に投げる」という思考の持ち主だった。確かこうだったはず(苦笑)

彼にとってこの思考は悪意ではない、「ごく普通の考え」というのが怖いポイントだと思います。

 

 

異色作家短篇集を読み進めていると、現代のアニメ・漫画・ドラマ・映画・文学なんかは焼き直しなのかなーって思ってしまいます。うちのじいちゃん、ばあちゃんと同じぐらい、もしくは前の世代には、既にこういう発想があったんだ・・・って。

こういう創作物の歴史をたどるのも面白い作業だったりしますね~(@_@)

 

 

 

 

一角獣・多角獣 (異色作家短篇集)

一角獣・多角獣 (異色作家短篇集)