随想手帖

時に真面目に、時にゆるく綴っております。ちなみにオタク(腐)です。

「トマシーナ」(ポール・ギャリコ)

小さい頃、「トンデモネズミの大冒険」というアニメを見ました。イギリスを舞台にしたネズミのファンタジーです。そのアニメが面白かったので、原作者のギャリコを調べてみていくつか本を読みました。

彼はかなりの動物好き(その中でも特に猫が好きらしい)で、動物を主人公にした物語を多く作っています。動物が主人公じゃなくても動物キャラが重要なポジションだったり。

 

そして、昨日ようやく「トマシーナ」を読了しました。これもまた猫を主人公にしたファンタジーです。

 

※ネタバレありますのでご注意下さい。

 

あらすじ

イギリス・スコットランドの田舎町インヴァレノック。そこにアンドリュー・マクデューイという獣医がいた。彼は頑固で意地っ張りの合理主義者。その職業とは裏腹に動物に対する愛情を持たなかった。愛情を注ぐ対象と言えば一人娘のメアリ・ルーのみ。メアリ・ルーは一匹の猫を飼っていて名前は「トマシーナ」。メアリ・ルーは母親のいない寂しさからかトマシーナをどんな時も連れていた。

ある日、ちょっとした事故からトマシーナは体の具合を悪くし、メアリ・ルーは父親にトマシーナを診てもらおうと診療所に行く。しかし、マクデューイは急遽別の手術が入ったためトマシーナに構っていられない。そこで彼の下した診断は、小さなメアリ・ルーにとっては余りにも残酷すぎるものであった・・・

 

 

 

ギャリコの作風として、「神への信仰」があげられると思います。(もちろんキリスト教の神です。)

今まで読んできた「スノーグース」「雪のひとひらにはそれがより顕著に描かれていました。

この「トマシーナ」も神に対する信仰が描かれていますが、珍しく信仰の対象はキリスト教の神だけに留まりません。

物語の途中で古代エジプトで崇められていた猫の女神バスト・ラーが登場します。

そして、最後の方でマクデューイが神に祈りを捧げ、その祈りを受け取ったのがこのバスト・ラーなのです。

 

また、マクデューイの親友としてペディ牧師が登場します。

こちこちの合理主義かつ無神論者の親友が、神への信仰を説く温和な牧師というところに奇妙なユーモアを感じます。

 

他にマクデューイの対になるキャラとして、ローリという女性が出てきます。

彼女は町の人からは「いかれた魔女」と言われていますが、本当はとても優しく傷ついた動物達に治療を施します。その治療法は原始的ですが、彼女は惜しみない愛情を注ぐので動物達からの信頼は厚いのです。更にローリは森の奥で慎ましく生活をし時には神や天使の声を聞くなど、ファンタジックな能力を持っています。

そのことから現代では「変わり者の魔女」とされてしまいますが、古代では巫女として崇められそうな女性です。

この描写もキリスト教圏で「魔女」が生まれた背景を物語っているんでしょうね。

 

キリスト教圏の作家さんが多神教世界を描こうとする時、一種のためらいや「今まで正しいとされてきたキリスト教との折り合いをどうつけよう?」という手探り感を感じますね。

キリスト教以前の無数の神々・妖精・精霊へ憧れつつも、そういう世界をどう扱ったらいいのか?そういう悩みが垣間見える気がします。

 

この作品はファンタジー小説ではあるけれど、宗教や信仰について重々しく語られている場面が多いので、苦手な人は苦手かもしれません。

けれども、信じる・信じないにかかわらず、神様や信仰について人生に一度は真面目に深く考えることって・・・とても大切だと思うんです。宗教とは人類の歴史そのものですし。

そういう意味で、この「トマシーナ」は打ってつけかもしれません。

この作品では神様とは、天にいる絶対の存在としてではなく、それぞれの個人の中にいるものとして描かれています。「信じる力」は何よりも強い。それは最終的には神ではなく、自分がそこに存在していることへの確信であると。

これは古今東西、人類の歴史では普遍的なテーマだと思います。

 

最後の最後・・・実は「奇跡は実は奇跡ではなかった」というオチが判明します。

マクデューイにしても、メアリ・ルーにしてもこれほどまでに苦しんできたのは一体何だったんだ・・・というある種ブラックユーモアのようなオチです。

 

しかし、その過程こそが「奇跡」であったんですね。それがあったからこそ、マクデューイは人として大切なものを取り戻すことが出来たのですから。

 

 

カテゴリーですが、イギリスとアメリカの両方にしています。

ギャリコはアメリカ人ですが、この作品の舞台はイギリスなので。

彼の作品にはイギリスを扱ったものが多いです。

 

 

トマシーナ (創元推理文庫)

トマシーナ (創元推理文庫)